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「なぜ、会社を辞めたのか?」今更だけど、本音でズバッと語ろう

通販をやりたかったのが本音だけど。。。

 

 

わたくしが、大学(北九州市立大学法学部法律学科)を卒業して、最初に入社したのは、実は商品先物取引の会社だった。

内定を12社ももらっていたのに、周囲の反対を押し切って、その商品先物取引の会社に入社した。

結果的には、この選択は大失敗。

入社して2か月で、「もう限界」って上司に伝えて、辞めた。

でも、おかげさまで、世の中のダークな部分を見せてもらった。

今はもう、この会社も潰れちゃったけどね。

 

 

 

 

 

 

その後、福岡の求人広告代理店に就職。

ここでは、毎日100件の飛び込み営業を最初にさせられた。

ほんとにイヤだった。。。

でも、今思えば、度胸はついたかなと思う。

そして、その広告代理店も3年くらいで辞めて、福岡の信用調査会社「データ・マックス」に入社した。

このデータ・マックスでは、支店長などもさせてもらったけど、一番大きかった経験は、地場の通販会社の社長と仲良くできたこと。

何百億円という売り上げを誇る通販会社の社長たちの、楽しそうな日常を見ていて、「よし、俺も通販やろう!そうしたら、こうなって金持ちになれる!」と、単純に思ったものだ。

それで、2010年の8月に、データ・マックスを退職した。

 



半年間、遊びまくりました・・・

 

しかし、通販をやるのにも、数千万円という資金が必要で、おいそれと始められるものではない。

ましてや、今みたいに通販サイトを簡単に作ることも出来ない時代。

そんな知識もなかったしね、当時は。

だから、まあとりあえずは「十何年もサラリーマンとして頑張って働いたんだし、しばらくは、毎日好きなことをしよう」と思い、当時めちゃくちゃはまっていたゴルフに毎日行った。

回数にして、半年間で150ラウンド。

つまり、3日に2日はゴルフに行っている計算。

そして、ゴルフの後は、毎日、夜の街・中洲に行った。

そんな生活をしていたら、いつか、お金も無くなるわけで・・・。

 

 

 

会社を作った10日後に、あの震災が・・・・

 

ゴルフざんまいの生活を続けて、半年が経ったある日。

「とりあえず、会社作ろう。通販の資金を貯めるために、まずは広告代理店をやろう」と決めて、2011年の3月1日に会社を作った。

それが今の始まりといえば、そう。

だけど、その会社設立のわずか10日後に、あの東北の大震災が起こった。

全ての広告の仕事が一瞬で無くなった。

あれだけの大惨事だからしょうがないとはいえ、会社を作って、たったの10日で前途多難な状況。

まさにお先真っ暗だ。

「前の会社(データ・マックス)に戻るしかないな」と思ったことがないかといえば、ウソになる。

ただ、わたくしは運が良かった。これだけは、確実に言える。

その当時、偶然見に行った映画で、Facebookのことをやっていた。

「へー、フェイスブックとかいう、こんなツールがあるんだな」

そう思い、登録。

最初は使い方もさっぱり分からなかったけど、必死でいいねを連打して、勉強もした。

そして、フェイスブックの活用セミナーをやったら、なんと参加費4,000円で70人も参加してくれた。

このセミナーが無かったら、今のわたくしはない。


 

もう通販をやろうとは思わない

 

今はおかげさまで、当社の事業も安定。

全国各地からお声掛けいただき、予約のとれないコンサルタントとして、新規コンサルも5か月待ちという状況になった。

だからもうあの当時、やろうとしていた通販ビジネスはやらない。

そんなに甘い業界でないことも、この6年間でよ~く分かったから。

 

 

 

 

 

と、話が相当、横道に逸れたが、最後に一番重要なことを書く。

それは、前の会社を退職した本当の理由だ。

前の会社では、それなりに稼がせてもらっていたと思う。

当時の同年代の人よりも、100万円、いや200万円くらいは年収が多かったかもしれない。

巷では前の会社の社長が嫌いという人も多いけど、わたくしは嫌いじゃない。

今でも道端でバッタリ会うと、会話をすることもある。

ただね、一つだけ、「これは耐えられん」と思うことがあったわけ。

 

 

 

それは、海外研修について。

前の会社では、海外研修に行く機会が結構あった。

社員旅行で全員で海外というのもあったけど、それとは別に、上海やマカオ、大連、カンボジアなど社長と共に年に数回、選抜された社員が海外に研修として同行したのだ。

しかーし、わたくしはなぜか、その海外研修に一度も呼ばれなかった

 

 

 

「なんで、俺は誘われないのよ・・・」

 

 

 

当時の上司に、そう不満を述べたこともある。

 

 

 

 

そして、ある日の朝、ついに社長が全体会議で全社員に、「次はドバイの視察に行こう」と提案してきた。

 

 

 

「あのドバイ?これ、行きたい!絶対行きたい」

 

 

 

そう思って、わたくしは猛烈にアピールした。

でも、結局、社長が連れて行ったのは、わたくしの上司と総務のスタッフ。

わたくしは、またしても、選ばれなかったのだ。

このとき、こう思った。

 

 

「もうこの会社には、俺は必要とされてないな。というか、ドバイくらい自分で行ってやるわい」

 

 

 

なぜ、自分じゃなくて、他の人が選ばれるのか?

売上では、他の社員より貢献もしてきた部分もある。

この会社に務めた年数も、総務のスタッフより俺の方がはるかに長い!

なのに、なぜ?なぜ?なぜなんだー!!

 

 

 

それが、サラリーマンを辞め、独立しようと決意した一番大きな動機だった。

 

 

 

 

 

ただ、今思えば、これらの一連の出来事は、こういうことだろう。

「海外研修に連れて行くには、まだまだ”あんた”は甘い」

そう社長が、判断していたということになるのかな。

 

 

しかし、反面、こちらも「なぜ?なぜ?」という僻み(ひがみ)ややっかみの気持ちしか、当時はなかった。

今なら「次は自分が呼ばれるように頑張ろう」と思えるが、当時はそんな心境では無かった。

「次の海外研修のチャンスには、自分が選んでもらえるように、売上をしっかりと作ろう」という気持ちになっていれば良かっただけなのだ。

 

 

 

とはいえ、前職を辞めたおかげで、今がある。

おかげさまで、ドバイくらいいつでも自分で行ける資金も用意できるようになった(ビジネスクラスでもOK)。

これも、前の社長のおかげかな♪

 

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